20121218

懐かしいニホヒ


小田小学校本館

※本文とは関係ありません

久し振りずくめもいいところで、風邪の発熱と、アルコールとで、いい塩梅で前後不覚に陥り、洗顔している僕の鼻腔に懐かしいニホヒ。

つまり、頬っぺのニキビや友人らの好奇の視線に耐えながら神妙に頷いた担任の教員の説教や、

窓辺に着いた灰のことを気づかないふりして僕の居なかった教室の様子を、まさにその窓越しに話す担任の教員のこと、

それらを呼び覚ますこのニホヒ。

あぁ、あの時感じたニホヒの根源はここにあったのね。

や、久し振り!ここにいたのか!

20121101

なるべく遠くまで、そして速く

白髭神社湖中の鳥居(今日の最遠到達地点)

一週間の入院とそれに伴って生じる静養期間で、どれくらい僕の身体はダメになるのか。

施術台で脇腹にメスを入れられている時でさえ、そんなことを考えていた。

医者が「これで普通の生活に戻れるよ」と言った時も、すかさず、「喘ぐほど自転車に乗っても大丈夫ですか」と聞いた。


答えはこう、

体重2kg増が効いていて、小関越えは今までよりダンシング多め、下死点前後の踏み込みから引き上げまでにもっさり感がある。チェーンに軋みを感じたので、オイル切れだろう、その影響もあったかもしれない。

後はひたすら北へ。
時間の許す限り、なるべく遠くまで、そして速く。

冷え込みのせいか、左のアキレス腱が痛み出したのは60km地点くらいから。
サドルを新調(Selle Sanmarco Zoncolan)してから初めての本格的なライドだったので、取り付け時に少しポジションが変わってしまったのか、その影響もあったと思う。

帰ってきてみれば、アベレージで平均速度こそ30km/hを切ってしまったが、ペダル回転数は90rpmを割り込むことはなく、それほどひどい落ち込みは感じられなかった。


再発率5割という気胸病みの肺をもって、僕はまだ走り続ける。

20121026

アナアキー


自然気胸って言うらしいです。

右側(自分から見て)の肺に穴が開いちゃったらしいです。

レントゲン見るや否や「あ、これ入院ね」って

「ここ、これ、萎んでるのがわかるでしょ?」だって

一週間入院していました。

初☆体験


折角買った新しい(中古だけど)フレームもしばらくお預け。

組むこともできず悶々と過ごしています。


しかしあれだ、運動していようが、していまいが

身体が欲する熱量は急には変わらないらしく、

退院後明らかに熱量の摂取過多。

既に2kg増。。。


今日くらいそろそろ動いていいかなーと思った矢先

電車に乗り遅れそうになってちょっと走ったら

胸がチクッ、なんか記憶に新しい痛み。。。

電光掲示板みたいに「再発率5割」って文字が

頭のなかグルングルン回りました。


自棄酒してきますorz

20121008

2012初秋、北へ(笑)


ということで、行ってきました金沢。

前日から整備していた割には、フロアポンプが不調でエアが規定値まで達していないまま出発せざるを得なかったり。

ギリギリまで西行きが諦めきれず、出発前に天気を最終確認した際F5を連打してみたり。

そんなこともあったけど、何事もなく無事に帰ってこられました。はい。










色々書くつもりだったけど、先週木曜の落車ですっかり吹っ飛んじゃった感じです。

というより寧ろ、新しいフレームを買ったから、そのことで頭が一杯。



過ぎたことには拘らないのさ!




20121004

自転車乗りは痛みを堪えて自転車に乗る




信号は青、対向車なし、右折レーンは空いている。
くだりでスピードにのっているところへ、右折後の坂道に備えダンシングで勢いをつける。

数回クランクを踏み込んだ後、気付いたらアスファルトを滑っていた。

転がるライト、僕の更に前を滑っていく眼鏡ケース、
ガリガリって音を聞いて真っ先に思ったのが、

「また傷がついてしまった」(もちろん自転車に)

野球の走者がスライディングの後、ベース上にすっと立ち上がるように
すぐに自転車を立て直し、眼鏡ケースとライトを回収して交差点脇の歩道へ、

あちこち削れてしまったSTIは左右とも内側を向いてしまっている。
右側に倒れたのでディレイラーハンガーが心配になる。
シフトダウンしてみると案の定聞いた事のある接触音。
「これもまただよ。。。」


うーん、この程度かなー?と思い、ほっとしている目に入ってきたのが
ビブショーツの破れ、しかもかなり流血してんじゃん。
左手も結構血だらけ、グローブが破れてる。
右腕と右の二の腕、脛、腰(ビブがやぶれたところ)、擦過傷があるある。

取り敢えず、数百m先の職場へ辿り着こうと信号待ちをしているところに
「だいじょうぶ?」と目の前の車の窓からO係長の声。
「ありがとうございます、大丈夫です(そういやO係長の車、さっき抜いたばっかだったな。見られてたのかはずかしー)」と見送る。


華麗なダンシングで駆け上る予定だった坂道を
内股になったSTIを握りながらとぼとぼ歩いていると
O係長の車が戻ってくる。

「ほんとに大丈夫?車乗ってき」
  「いえいえ、もうすぐそこですし大丈夫です」
「すごい勢いでこけてたやん、あかんて、乗りなさい」
  「いやほんとだいじょぶですよ」
「いいから、乗りなって」
  「自転車もありますし」
「乗せたらいいから!」
ってぐいぐい引っ張って乗せてくれる、うわ男前w

助手席できわどい位置のビブショーツの破れをヘルメットで隠しながら恐縮していると
「もーほんと気をつけや、怖いわ」
  「すみません」
「なんでこけたん?」
  「段差にタイヤをとられたんです」
「車来てなかったからよかったけどさ」
  「そうですねすみません」
「職場着いたらホケカンで手当てしてもらいね」
  「はい」
とやっている間に職場到着。
ホケカンのTさんに適切な処置をしてもらった後、改めてO係長にお礼。

昼休みに自転車をもう一度じっくり見直してみると、
幸い走行に支障のない傷ばかり。
ディレイラーハンガーは手でまっすぐにしたけれど、変速もバッチリ決まる。


後はもう笑いにするしかないですね。
午後にはしたたかに打ち付けていた腰が痛みだし、
帰りはきわどい位置に穴の開いたビブを履き、痛みを堪えて自転車で帰りました。
まぁお風呂に入るのが辛いこと辛いこと。




20121001

2012初秋、北へ


コースは3案。

1.西へ(尾道)

2.東へ(伊豆半島)

3.紀伊半島一周

詳細を検討する間もなく、ひたすら晴天だけを祈り、天気予報を毎時チェックしながら迎えた土曜日。

妻が「じゃぁ、引越しのダンボール全部片しておいてね」と言い残し、娘らを連れて実家に帰っていくのを、「そんなのできるか」という言葉をすんでの所で飲み下し、「気をつけて」と時計を気にしながら見送った。

ウェアに着替えるのももどかしく、Webで天気の最終確認、西から迫る台風とそれに付き従う雨雲。


北しかない。


金曜の晩、既に翻意していた。

(つづく)



20120930

2012初秋、北へ



「今度の連休、実家に帰ろうかな。」

慌しい月曜の朝、食事を摂りながら妻がそう言った。

きっかけはそれ以外ありえない。


(つづく)

20120812

岩間寺という


先週の月曜日、自分史上二つ目のディレイラーハンガーを折りました。
一つ目がつい先々月の末なので高頻度です。大変こたえます(主に財布に)。
しかも通勤(帰路)途中とか、、
娘らを保育園へ迎えにいかなければならなかったため、迷わずタクシー。
幸いタクシーの営業所がすぐ近くにあったのでそこへ駆け込む。

運転手(トランク半ドアでバイク乗せているのが気になる様子)「いや、この前もね自転車乗せたんですよ」

僕「へぇ」

運転手「その時は外人さんで、タイヤ外してサドル抜いたらトランクにピッタリ収まったんですけどね」

僕「あ、僕みたいに壊れたからってわけじゃないんですね」

運転手「そうそう、岩間寺に行きたいとかで」

僕「そうなんですか、その自転車で行けばいいのに」

運転手「ですけどあそこは車でもえらがる坂ですからねぇ、帰りはいいけどって」

僕(ほぅ、車でもえらがる坂・・・面白い登ってやろうじゃないの。)

──ここまで導入部───────────────────

西国三十三所 第十二番霊場 岩間山正法寺
果たしてなんとか登りきったのですが、
平均勾配9.2% 全長3.1km 最大標高差286m
http://yahoo.jp/JHvqdb
六丁や小関の細道とは違う未経験の坂でした。


・苦しかったポイントその1
  後半、シッティングで休める暇がない。

・苦しかったポイントその2
  後半、ダンシングし通しなので汗が目に入っても、ハンドルが離せなくて拭けない。

・苦しかったポイントその3
  岩間寺まであと1300mって看板があって、その次があと800m
  「え、500mしか進んでなかったの俺?」で意気が削がれる。


初めて登る坂はどこもキツく感じるところはあるんだけど、内臓がひっくり返るかと思いました。
おまけに、登りでかいた汗が下りで冷えてお腹がイタークなりました。



20120729

爪剥ぎ


衝撃です。
人知れず、というか本人も知らぬ間に、足指の爪が剥がれていました。

まぁ兆候はあったんだけど、気付き方も衝撃的。
ソファの縁に蓑虫よろしくプラプラぶら下がってました。

「なんだこれ?」と掃除の際に気が付き、手に取ったならば見覚えのある形状。
右足の人差し指に合わせてみれば、あらピッタリ。

グラグラしていた爪で隠れていた皮膚が角質化していたお陰で、まったく痛みはなかったものの、想像と違った爪の修復のされ方に、軽く人体の不思議を味わった休日の朝でした。

因みに、、
爪の剥がれた原因は、一月ほど前のランです。
靴の中で足が前にずれて、爪を圧迫したまま走ったのが悪かった。

みんな、シューレースはかかとを合わせてから確り結ぼうなっ!


20120703

太陽が暑いので



今季何番目かの勢いで太陽が照りつけるものだから、
狂おしいほどに旅愁を掻き立てられる。

近くだけど見えないところから聞こえてくるツーサイクルエンジンの回転音と漂ってくる草いきれ。
ひっそりとした涼感をもたらす木立の薄暗さと針葉樹の香り。
アスファルトが照り返すタイヤを溶かしそうな熱気と肌が焼ける感覚。
人気のない峠道で待ち構える灯りのない隧道の首筋を狙ってくる滲み出た雨水。

夏はもうすぐ。
小学生みたいに真っ黒になるまで走り回りたい。


20120506

GWは終わらない。



世間様のGWは通常今日まで。
しかし、GW中に自分の自由時間が持てないことを見越していた僕は、今の職場でのポジションを活かし、プラスワンの休暇を取得。
今日はまだサザエさんシンドロームを発症することなく、明日のロングライドに胸を高鳴らせているのです。
ビワイチいっとくか?!


20120427

goガッツ


気付いてみれば4月の平日は明日金曜日を残すのみ。
25年度の要求、24年度の執行、23年度の決算と、3事業年度の業務が集中するこの時期。
ようやくさらりとこなせるようになってきたつもりなのに、5度目の4月を迎えることはないかもしれない。

さて、仕事の話はさておき、今週末からGW。
5月3日、今年最初のビワイチは叶うのか?

・・・今回だめでも、今年は月一でビワイチしたい。
そのためには、バイクやランのトレーニングだけではなく、
妻を説得する話術もトレーニングしないと、だ。




20120419



というわけで、お腹の痛みの原因を解消するためにAmazonでポチッたGarmin forerunner410
一昨日のうちにマチのほっとステーションで受け取り。充電も済ませたので今夜こそはデビューさせられるかと期待に胸を躍らせ帰宅。
機嫌の悪い妻から仰せつかった家事を「はいはい」と適当に片付けると、妻も長女もいつも通り21時過ぎに就寝、次女も僕がウトウトする前にすんなり寝入る。
待ってましたとばかりにそそくさと着替えを済ませ、前述ツールの初めての使用に胸を昂らせて玄関の扉を開けると、

雨音がするじゃないですか。

ゲッソリしながらも、取り敢えずハートレートモニターとフットポッドのキャリブレーションカリブレーションとやらをしておくか、とエレベーターホールで読めない英語メニューの慣れない操作(タッチベゼルというらしい)をこねこねしているとお隣さんが帰宅。
思わず柱の陰に隠れて遣り過ごし、ホントはランでデビューしたかったところだけれど「しゃあない」とメニューを3本ローラーに切り替え。

ローラーを回しながらニュースを見ているとしばらく雨が続くとのこと。
Garmin forerunnerと一緒にポチッたこれを使うのも週明けまでお預けかな。



20120401

妻が居ない、遊ぶなら今のうち。(その2)



今週も妻が実家に帰ってくれたので、、


金曜は南草津で鯨飲。
土曜は彦根で鯨飲。
日曜はこれからまた彦根で鯨飲。


しかし、折角の機会なのにロードは100km未満の1ライドのみ。。。くぅ
明日から朝練だ。



一区切り



未だかつてない平穏さで、年度が去り行くのを見送り、新しい年度を迎えました。

仕事に明け暮れた21年度。
仕事と家庭の両立に苦心した22年度。
23年度は家庭の悩みに明け暮れました。

24年度はどんなだろうか、きっとよくなる。きっとよくする。



20120213

これからはノーマルでいく


いや、決して今までがアブノーマルだった、というわけではなくてコンパクトだった、ということ。

50-34Tだともう軽すぎるかな、という勝手な思い込みと、若干の見栄に後押しされノーマル化です。

105(5600)の完成車で購入したORBEAonixも、とうとうコンポはフルultegara(6700※クランクとペダルを除く)。後は、ステム、ハンドル、フォークにサドル、シートポストあたりをwhooさんにお世話になれば、ヴィジュアル的には完成。僕の足がそれに見合っているかと問われば疑問。

重い方のホイールで試走したところ、平地は問題なさげだったので、次の土日は坂を走ってみようと思う。これで登れなくなってたらお笑いですね。



20120212

思い出


お風呂場のカランから滴がひとつ落ちて、それを合図に舞台の緞帳が上がる。

第一幕、僕は厨房で忙しなく動いている。
大きな寸胴鍋に煮立つスープを、片手鍋ですくいとり準備してあった小鉢に取り分ける。キッチンタイマーのアラームを止めながら、ゆで鍋から麺の入ったザルを取り上げ、素早く湯切りをし、スープをこぼさないように小鉢に麺を落としこむ。菜箸で麺を軽く整えながら、具材を盛り付け、カウンター越しにホールのウェイトレスに声をかける。

二つ目の滴で第二幕。
僕はフォークリフトでパレットに積み上がった空の一斗缶を運んでいる。
里山に囲まれた工場の建家の中に入ると、有機溶剤の臭いが強くなり、換気音が一段と大きくなる。一斗缶の山越に年輩の工員が手を挙げて、ここに下ろせと合図をしている。
僕は鷹揚と樹脂のこびりついたレバーとハンドルを操作し、溶剤と樹脂が渦巻いているタンクの前にパレットを下ろす。

三つ目の滴が呼び出したのは僕の祖父。
実家の居間で火鉢にかざし手を揉んでいる。僕と同じ笑顔を浮かべる表情は温厚そのもので、狂気は感じられない。どてらの袖口から、僕が形見にもらったTechnosが覗く。そのTechnosに気をとられ、祖父が言ったことを聞き逃す。

もう一度言うように促したとき、次女の寝返りで幕引き。
冷たくて明るい青空に冬枯れの田畑が余韻となった。

20120205

Train


ロードで走り終え、帰宅する度に思う。
ケイデンスや心拍数、GPSによる走行経路のログより、「キレイだ」とか、「面白い!」とか、「すごー」と感じた景色の一枚でもカメラに収めた方が、ホビーライダーとしては楽しいんじゃないか?って。
速くはなりたいけれど、今更プロになれるでもなし、前回と比べて2~3のケイデンスやアベレージの上下で一喜一憂するのは馬鹿げてはいやしないか?って。

そして同時に思う、「僕がこの道を選び続けているんだ」って。
ハンガーノックになりかけながらそれでも90rpmを下回らない努力や、4~5%の坂ならインナーに落とさない意地、100kmを休まず走り続ける目標。
やろうと決めたとき、それ以外のことはどうでもよくなる。
楽しく走りたいならチンタラ走っていればいい、僕は自分を苛めて走るのが楽しいんだ。


そんな時、いつもEaglesのLife in the Fast laneのフレーズがぐるぐる回っている。



まぁ、でもあれだ。
メリハリつけて、チンタラ走る時があってもいいよね。
それこそホビーライダーなんだから。



20120130

妻が居ない、遊ぶなら今のうち。


ということで、金土日と恐妻家振りを遺憾なく発揮し、遊び尽くしました。

金曜日は彦根で泥酔。
土曜日はロード&京都で泥酔。
日曜日は朝からロード

あまりあてにならないものの、サイコンによれば一応2日で5,000Kcalくらい消費しているはずなんだけど体重が増えてる不思議(その1)。
財布は逆に減ってる不思議(その2)。

次はいつだ?


20120110

これからのこと


僕はこれまであまり中・長期的な目標を明確に据えてこなかった。
10年20年経った自分がどういう立ち位置でモノを見、コトを考えているか。
何を得ることができ、何を諦めないといけないのか。

元気に自転車乗れてたらいいなとか、仕事でもそこそこの職責を担っているんだろうなとか、
ひょっとすると妻に押されてどこかで一戸建てに住んでいるかもしれないなとか、
もこもこっとした曖昧なイメージはあるものの、細部を見て取ろうとすると焦点が合わないような、
昨夜の夢を思い出すようで頼りなく、だからではないけれど、そういうことを考えようとしてこなかった。
「差し当たり」や「取り敢えず」のことしか考えられなかったし、考えようともしなかった。

明確に言えるのは、これまで僕は場当たり的・短絡的に生きてきた。
そのことを認めたくないばかりに問題を先送りしてきたところもある。

「これでは立ち行かなくなる。」というところまで実際のところ至っているわけではないと思う。
何かを機会にと考えていたこともあったし、連休が明けようとしているこのような時間に考えることでは
ないかもしれないけれど、思い至った今がその時だろう。


20120105

新年です


仕事始めにあたり、僕の勤める組織の一部局セグメント長が挨拶のなかで次のような発言をしました。


 昨年の震災・原発事故、そして人口の逓減期への移行。これらから鑑みると、今までの拡大再生産を前提とした社会へ構成員を供給するという教育方法は、根本的に見直しが必要だ。


見直された教育がどうあるべきか、というビジョンまでは明確に示されませんでしたが、今までのんべんだらりと日常業務をこなしていた僕にとって、目を覚ますような発言であり、電卓と規程(むしろ慣例)に則っり数字をこねくりまわすより、もっと重要で大事なことがあって、それにかかずらうことなく今までやってきてしまっていたことに気付かされました。

それらのことについて、今年はもう少し時間をかけゆっくり考えていきたいと思った仕事始めの1日でした。



いちねんの終わりに

道の先に朝陽のあたる様子、今年の私の境遇を暗示するようであったと、今思い返します。 この山を乗り越えれば、と汗ばむ初夏を今年も駆けずり回った。 片や村には祭が戻りました。 皆の新年に幸多からんことを、切に願わずにはいられません。 青信号は「進んでもよい」? 否、進め、いざ!