20201231

一年の終わりに(泣きの一回)

そこそこ写真を撮ったけど、ポストする機会がなかったので。

皇子山公園の桜。

次女長男と堂山に登るつもりが時間切れで引き返しました。比良山に雪が残っています。

早朝の琵琶湖畔、まったく朝起きられないようになりました。

新緑に包まれる琵琶湖疎水

和田神社の風鈴祭り

何も言えない

緑に黄に紅は自然のラスタカラーって誰かが言ってた。

長安寺の大銀杏。

霊仙山から臨む伊吹山。

雪をまとった獅子柚子

来年はもう少しポストも、自転車も取り戻したいと思います。

20201218

一年の終わりに

1日の終わりに、電車の座席に身を沈めるとともに、魂というものがあるならそれすら漏れこぼれるほどの長い溜め息をつく。今年一年の印象はこれに尽きる。

その日の仕事を反芻しても、翌日や翌週に控える出来事の準備に仕損じがないか、し残しがないか、ということに終始していた。

充分な準備もなく事にあたる不安に身が磨り減って、酒量が増え、飲まないと寝られない。いきおい飲み過ぎて翌朝に残る。

そのサイクルを何度か繰り返し、ある朝デスクでその日の1日の予定を見返していると、当月に控えたイベントの対応の不備に思いが至り、全く落ち着かず、動悸と冷や汗で、じっと席に座っていられなくなった。

どう考えても、というよりも同じ考えが堂々巡りをし始める、どうする。どうする。どうする。・・・・

ああやって破綻してゆくのだと、今振り返る。

しかし、この危機は、上司や同僚、元部下のサポートのお陰様と何より家族が居てくれたことで乗り越えられた。大きく踏み外さず、新年を迎えられる。

大変感謝!





20200504

ひた走る

皆が今まで経験したことのない事態のなかで4月のひと月を遣り過ごしました。朝決まったことが暮れ時どころか、昼には変わってしまう状況も多くありました。人事異動だけは例外なくありましたが、残った僕にあるのは職務の付加ばかり。


これはどうするんでしたっけ?あれはどこまで進めてましたっけ?それってそういうことだったんですね。

あれこれ重ねる僕の質問を嫌な顔一つせず丁寧に、簡潔に教えてくれる前の上司。異動先へこちらの仕事を持って行って片手間で進めてくれているところも含め、全く頭が上がりません。これまでの職務の中でいろいろな方とご一緒させていただきましたが、間違いなく一番頭が切れるし弁も立つ方でした。

その方が居なくなり新規採用の方とパートタイムの方と僕の3人ではどうなることかというところでしたが、幸いこの時節柄。訪問者が大幅に減ったことで何とか「遣り過ごした」というのが本当のところだと思います。

さて、もうしばらくここ数カ月の疲れをゆっくり癒させてもらうとしましょうか。


20200212

JCX19-20シーズン#10スチールの森日吉

来週土日は実家に帰ろうと思う。
妻からそう切り出された時間は幸いにエントリーの締め切り前だった。

関西シクロクロスシリーズ最終戦の桂川は例年通りパスし、事前の盛り上がりどおりチームの皆が楽しそうにしている様子を指を咥えて見ていた僕は嬉々としてエントリーした。

(寒波が来ている。)

(週末は雪が降るらしい。)

それならそうか、と会場までのアクセスにレンタカーを選んだ際にはスタッドレスタイヤ付きの車両を選択した。

果たして降雪予報で迎えた週末土曜日。最後の最後まで前泊するか二日間とも日帰りにするか悩んだ結果、宿の予約が取れなかったのもありレンタカーの出発時間を前倒しし、両日日帰りにすることにして前日試走のために出発した。

京都縦貫道を走行中に、チームメイトから降雨と鹿のフン等のコース状況の提供を受けながら到着した日吉ダムは、小雨が降るものの冷え込みはそれほど強くない。バイクに跨ったらいきなりパンクしているなどのトラブルがあったが、入念にキャンバーのラインを確認するため時間ぎりぎりまで走行して帰路に着いた。

日吉のコースは、草地ながら隠れた石や岩(鹿のフンもw)が多くメカトラブルが生じ易い、実際に前回出走した時は1周目でパンク、残り周回すべてパンクのまま走行した苦い思い出のコース。そんなことから未だクリンチャータイヤで走り続けている僕は3.0barより空気圧を下げられない。帰り道、亀岡の市街地で渋滞に巻き込まれながらそんなことを考えていた。明日は復路も京都縦貫道を使うべきだな、とも。


翌朝、チームメイトから日吉の降雪や積雪情報の提供と併せたDNSの判断に出走をためらいつつも、まぁ何とかなるだろうと到着してみるとこんな感じ。


先着していたチームメイトとの挨拶もそこそこに、雪原の試走の準備を始める。
レース時に濡れたシューズを履くのを厭って、長靴で軽めに2周試走、土曜日入念にラインを確かめ乗って行く積りだったキャンバー区間は乗車に拘らないことにした。

コース路面の悪状況は兎も角として、時折吹雪いたり、晴れ間が出たりと安定しない天候ながら、思ったほど冷え込みは強くはない。とは言え身体を冷やさないために、ボディナンバーからスタート位置が最後尾であることが分かっていたので招集時間ギリギリまで車中で待機。

案の定、最後尾からの出走になったことも相俟って、コースの状況、そして残留条件と色々考えを巡らせるくらいに招集からスタートまでの時間が長い。身体を小刻みに震わせながらスタートの号砲を待つ。

今日のスタートの合図はホイッスルらしい。

「3周回らしいよ※」という声が聞こえてくる。
※シクロクロスのレースは始まるまで(一応)何周回するか決まってないのです。

スタートラインに居並ぶ選手のボディーナンバーと名前がコールされる。
ギアがローに入っていることを目視し、シューズのソールに圧着した雪を蹴落とす。

「30秒前」

サイコンのスタートボタンを押す。

ホイッスルが鳴り響き、一斉に集団が動く。

カテゴリーC2のスタート(僕のとは別のレースです)

この位置取りでレースの出来が変わる。皆真っ先に最初のコーナーを目指し、その日一番のスプリントをかける。どこが空いているか。
後ろからスタートする者はすかさずそこを狙う。
イン側が空いている。
積雪のあるラインでも躊躇わず突っ込む。
皆雪は避けるようだ。

インコーナーから抜く後ろめたさを詫びながら、メインストリーム(積雪のないライン)に合流するタイミングを見計らう。




事前に聞かれた3周回のゴールラインを割ってもチェッカーフラグは振られない。そもそも最終周回の合図を聞いていなかったな、、いや、待てよ本当にこのゴールラインを通過するのは3回目なのか?

心拍やランタイム、何もかも確認する余力がないまま次の周回に入る。
このキャンバーは何回目のキャンバーだったか?自問する間に後輪がグリップを失い体勢を大きく崩す、見知らぬ方(そもそも路面状況の把握に忙しく視界には入っていない)の応援に応える。

抜きつ抜かれつでいつの間にか前後の選手は疎らとなっているにもかかわらず、すぐ後ろで重い芝を割いて走るタイヤの音と息遣いが聞こえる。

ゴール前の坂でスプリントで仕掛けてくる、そのタイミングを狙っているのが分かった。分かっていた。

最終コーナーの減速をできる限り抑えてシフトアップを始める。
レース中感じていたとおり反応が悪い。

今日、何度も目にしたとおりダウンチューブの向こうでインナーケーブルがたわんでいる。

泥を噛んだままでギアが上がらない。二呼吸は繰り返した後にリアディレイラ―がゆっくりシフトアップする。

後ろの息遣いが大きくなる。ギアがあがってももう回転を上げられない。

逃げ切るにはゴールラインが遠すぎて、またもや※ゴール手前で交わされてゴールイン。
※お零れで昇格した18-19信太山ではゴール前で交わされ3位でした。

いただきものです。
というわけで、なんとか最後尾から半分位まで順位を上げて22/53位。

残留圏内のポイントを獲得して自身シーズン最終戦の信楽に挑むこととなったわけでした!

20200201

ある二月の朝

今日は妻が職場の同期と遊びに行くというので、子ども三人をどこかへ連れて行ってあげようと思っていたところだったが、昨夜のうちに「昼食はこれね、あれとこれを買っておいてね、あとあそこに連れて行ってあげて。」と種々の用事を仰せつかってしまったので、あえなく断念する。
そんな今朝はいつもと同じ、布団から抜け出せず朝練はできぬまま。その大分軽くなってしまった後ろめたさや後悔も、朝の家事を済ませる頃にはどうでもよくなっている。



土曜日は朝食の片付けも終わらぬうちから、長女は発表会用の曲と卒業式の伴奏曲とでピアノの練習に余念がない。次女ももう少し見習ってもらいたいものだが、末っ子を相手にひとりカルタに付き合ってあげてくれているので有り難い。


枕カバーを剥がしに行った寝室の窓から見える比良山系が冠雪している。
昨夜は風も強く今朝は冷え込んだしなぁ、などと思いながら2度目の洗濯機をまわす。
この冠雪が今シーズン何度目だったろうかなどとは数えるまでもなく、琵琶湖の湖水が循環しないことで生じる春以降の異常事態や、それまでに起こるであろうそれよりもっと酷い新型肺炎を巡る出来事。最後にはそれらに割り込むように想起してしまった週明けの仕事の段取りに気をとられ、詰まらせた便器を見ていた。

20200113

ところでコマンドプロンプトって何?


最近空き容量が減って遣り繰りに困っているスマホのストレージを見直していると、4年前に乗り換えた(Docomo→Ymobile)時のバックアップがmicroSDの中にそのまま残っていることを見つけました。

windowsのデイレクトリ構造は、仕事にも関わりのあることですから、なんとなく理解してやってきましたが、androidはどこまで行ってもプライベートの域をでることがないため、放置してきた結果です。

でmicroSDの中にあったバックアップファイルは、「video」と「image」というフォルダー内の「.sdb」ファイル。windowsのライトユーザーには縁のない拡張子でしたが、今時何でもググればわかる時代、こちらを参照させてもらいPCに移し替えた後、コマンドプロンプトでサクッとリネームし、スマホのmicroSD内の容量を若干確保いたしました。これで通勤時の音楽ファイルのバリエーションが増やせます。

使ってみたコマンド
dir :同階層の一覧を表示する
cd (同階層より下のフォルダー名):(同階層より下のフォルダー名)へ移動
cd ../:上の階層へ移動
-1/15加筆-
ren *.sdb *.jpg : ファイル名(拡張子)の変更(.sdb→.jpg)
ren *.sdb *.wmv : ファイル名(拡張子)の変更(.sdb→.wmv)

予備知識
*(アスタリスク) : ワイルドカード(x文字)
?(クエスチョン): ワイルドカード(1文字) 

20200107

新たな年の始まりに

我が家では、年末年始は三重の実家に帰省するのが常ですが、今年はその際に念願の初登山を敢行しました。
件の山にはその間も自転車や自動車で、昨年中には同じルートを走って登ったこともありますが、初登山は中学生の時に登って以来、二十数年ぶりのことです。


その頃と比べると参加者もサポートも大変増えており、山頂までの40分程度の道のりは、序盤こそ人影(というより足元を照らすライトの数)も疎らでしたが、山頂に近づくにつれ人が列を成していて、思った通りに歩けません。山頂も黒山の人だかりで、初日の出に臨める位置は、既に立錐の余地もないほど。それでもあちこち歩きまわり、ビューポイントを探し出し、人垣の上へ連れていった次女を担ぎ上げ、やっと見させました。


実家近くの山ですので、誰か知った顔でもいないかと見まわすにしても、あちこち探すことさえ飽くほどの人に、辟易としながら8時の朝食に間に合うように直ぐに下山しました。


登山口のある霊山寺では、地元のまち協の方々が往きは蜜柑とお茶を、還りはインスタントラーメンと甘酒で歓待してくださっていました。


新しい年の始まりに新しいことを試みる。真冬の清々しい大気のなかで、厳かな心持ちとなり、この一年の在り方すなわち「新しいことを試み」ていくことを、目的に据えることとしました。

いちねんの終わりに

道の先に朝陽のあたる様子、今年の私の境遇を暗示するようであったと、今思い返します。 この山を乗り越えれば、と汗ばむ初夏を今年も駆けずり回った。 片や村には祭が戻りました。 皆の新年に幸多からんことを、切に願わずにはいられません。 青信号は「進んでもよい」? 否、進め、いざ!