20111024

親として

先週の土曜日は、人の子の親になってから、何回目かの結婚式に出席してきました。
今のところ、その数回は毎回必ず泣かされているのですが、今回も例に漏れず泣かされてしまいました。
新婦の父親にシンクロしてしまいがちで、幼い頃から今日にいたる成長の様子や、新婦の感謝の言葉がたまりません。自分もいつかこうして2人の娘を送り出すのかと、ヴァージンロードをそれぞれエスコートするのかと思うと、傍目が気にはなるのですが、流れ落ちる涙をとどめることができないのです。娘達との日常的な些細な遣り取り一つ一つが、やがてかけがえのない思い出になっていくことは、想像に難くありません。その予感の重みに僕の涙腺は、ひとたまりもないのです。

今回結婚したのは学生時代からの友人だったのですが、付き合いが長いので、今までの苦労(?)をある程度知っているだけに、先述の状況はかつてないほどでした。式の終盤に彼女から贈られたご両親への感謝の手紙。その中で、「私の両親はすごい」という自慢があったのですが、涙をだらだら零しながら、僕もこう言われる父親であり、夫婦となりたいと思いました。

というわけで、差し当たり身体を鍛えることがその一助となるだろうというので、今日も頑張りました。(もちろん、「3本ローラーを」です。)

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いちねんの終わりに

道の先に朝陽のあたる様子、今年の私の境遇を暗示するようであったと、今思い返します。 この山を乗り越えれば、と汗ばむ初夏を今年も駆けずり回った。 片や村には祭が戻りました。 皆の新年に幸多からんことを、切に願わずにはいられません。 青信号は「進んでもよい」? 否、進め、いざ!