20141115

鈴鹿山脈のふところ


滋賀と三重を大きく隔てている鈴鹿山脈の、南北の尾根づたいがすなわちほぼ県境であり、急峻な東側と比べ、西側はなだらかで、しかし奥深い山脈のふところがある。
そのふところには未踏の道があり、予てから焦がれる思いで地図を眺めていた。
未舗装路を走る自転車を手に入れた今、満を持してその道を走ることにした。

百済寺の集落の南側を、山脈に向けて伸びる県道229号線にとりついたのは、午後を少しまわった頃。
急勾配のS字を幾つか越えて見えてきたのが角井峠。

峠でジレのジッパーを上げくだり始めると、薄暗い木立の向こうに山小屋か何かの廃屋が散見されるようになり、不思議な雰囲気の一帯に差し掛かる。
苔むした石垣や階段。収まるべきものが剥がされた門柱。
それらの導く、ちょうど家屋が収まる平らなスペースが、棚田のように並んでいて、そのそれぞれに紅葉が植わっている。




その道沿いに観音像があり、傍らの石碑から一帯の気配の由縁を知る。


土砂災害からの復興をあきらめて移住した方々の、故郷への思いが、ひたすら静かでありながら、人の気配を感じるこの不思議な雰囲気を作り出しているのかと得心しながら廃村大萩村を後にした。




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いちねんの終わりに

道の先に朝陽のあたる様子、今年の私の境遇を暗示するようであったと、今思い返します。 この山を乗り越えれば、と汗ばむ初夏を今年も駆けずり回った。 片や村には祭が戻りました。 皆の新年に幸多からんことを、切に願わずにはいられません。 青信号は「進んでもよい」? 否、進め、いざ!