20120130

妻が居ない、遊ぶなら今のうち。


ということで、金土日と恐妻家振りを遺憾なく発揮し、遊び尽くしました。

金曜日は彦根で泥酔。
土曜日はロード&京都で泥酔。
日曜日は朝からロード

あまりあてにならないものの、サイコンによれば一応2日で5,000Kcalくらい消費しているはずなんだけど体重が増えてる不思議(その1)。
財布は逆に減ってる不思議(その2)。

次はいつだ?


20120110

これからのこと


僕はこれまであまり中・長期的な目標を明確に据えてこなかった。
10年20年経った自分がどういう立ち位置でモノを見、コトを考えているか。
何を得ることができ、何を諦めないといけないのか。

元気に自転車乗れてたらいいなとか、仕事でもそこそこの職責を担っているんだろうなとか、
ひょっとすると妻に押されてどこかで一戸建てに住んでいるかもしれないなとか、
もこもこっとした曖昧なイメージはあるものの、細部を見て取ろうとすると焦点が合わないような、
昨夜の夢を思い出すようで頼りなく、だからではないけれど、そういうことを考えようとしてこなかった。
「差し当たり」や「取り敢えず」のことしか考えられなかったし、考えようともしなかった。

明確に言えるのは、これまで僕は場当たり的・短絡的に生きてきた。
そのことを認めたくないばかりに問題を先送りしてきたところもある。

「これでは立ち行かなくなる。」というところまで実際のところ至っているわけではないと思う。
何かを機会にと考えていたこともあったし、連休が明けようとしているこのような時間に考えることでは
ないかもしれないけれど、思い至った今がその時だろう。


20120105

新年です


仕事始めにあたり、僕の勤める組織の一部局セグメント長が挨拶のなかで次のような発言をしました。


 昨年の震災・原発事故、そして人口の逓減期への移行。これらから鑑みると、今までの拡大再生産を前提とした社会へ構成員を供給するという教育方法は、根本的に見直しが必要だ。


見直された教育がどうあるべきか、というビジョンまでは明確に示されませんでしたが、今までのんべんだらりと日常業務をこなしていた僕にとって、目を覚ますような発言であり、電卓と規程(むしろ慣例)に則っり数字をこねくりまわすより、もっと重要で大事なことがあって、それにかかずらうことなく今までやってきてしまっていたことに気付かされました。

それらのことについて、今年はもう少し時間をかけゆっくり考えていきたいと思った仕事始めの1日でした。



いちねんの終わりに

道の先に朝陽のあたる様子、今年の私の境遇を暗示するようであったと、今思い返します。 この山を乗り越えれば、と汗ばむ初夏を今年も駆けずり回った。 片や村には祭が戻りました。 皆の新年に幸多からんことを、切に願わずにはいられません。 青信号は「進んでもよい」? 否、進め、いざ!