第二子の産まれた病室よりびわ湖を臨む |
電車待ちのホームや、駅から自宅までの道すがら、何か此処に書き連ねようと思っていたことがあった筈なのに、こうして真っ白なディスプレイを前にすると、それが何だったか思い出せない。
たいして重要ではないことだからこそ思い出せないのだ、と思い込もうとすればするほど、そのことの重要さが際立つ気がして、筆ならぬ指をはしらせている。
とりとめもなくこの1年を振り返ってみると、何はなくとも我が家の重大事は、第二子の誕生であった。
震災とそれに起因する原発事故に関する報道が各種メディアを賑わせていた頃、それ以上に我が家を賑わせ、爾来双方とも静まることのない出来事だった。
第一子の時とは異なり、僕の到着を待つことなく雨のそぼ降る4月に産まれた第二子。
僕の娘達が今の僕と同じ歳になる頃、どのような世界を見ているのだろうか。
年の瀬に、そのようなことに思いを馳せた。