20130401

その手は何を掴んできたか

平成25年4月1日。
職業柄、和暦に馴染み深く、日に何度も日付を記すのだけれど、仕事よりプライベートで先に新年度の日付を記すのは初めてだと思う。

そんな今日、上の娘はとうとう保育園の年長になる。
産まれてすぐに障碍があることがわかったり(股関節脱臼:その後の治療で完治しています)、僕が単身赴任したりで、今となっては下の娘の育て難さの前に吹き消されてしまった感があるが、当時は悩まされたものだった。

当時の写真を繰っていて出てきたのが→の写真。

遡ること9年。これは、実家の裏山で撮った孟宗竹と僕の手。
孟宗竹のあまりの太さに感嘆し、比べるために一緒に撮った手。
まだ子どももない、妻もない、仕事さえなかった頃の手。

節くれ立ち、芋虫のような短い指先に、扁平な爪をちょこんと乗せた不細工な手だけれど、妻を労わり、娘をあやし、抱き上げ、家族を守るためには何の不足もない。

つまり、そういうことだ。


いちねんの終わりに

道の先に朝陽のあたる様子、今年の私の境遇を暗示するようであったと、今思い返します。 この山を乗り越えれば、と汗ばむ初夏を今年も駆けずり回った。 片や村には祭が戻りました。 皆の新年に幸多からんことを、切に願わずにはいられません。 青信号は「進んでもよい」? 否、進め、いざ!