20120212

思い出


お風呂場のカランから滴がひとつ落ちて、それを合図に舞台の緞帳が上がる。

第一幕、僕は厨房で忙しなく動いている。
大きな寸胴鍋に煮立つスープを、片手鍋ですくいとり準備してあった小鉢に取り分ける。キッチンタイマーのアラームを止めながら、ゆで鍋から麺の入ったザルを取り上げ、素早く湯切りをし、スープをこぼさないように小鉢に麺を落としこむ。菜箸で麺を軽く整えながら、具材を盛り付け、カウンター越しにホールのウェイトレスに声をかける。

二つ目の滴で第二幕。
僕はフォークリフトでパレットに積み上がった空の一斗缶を運んでいる。
里山に囲まれた工場の建家の中に入ると、有機溶剤の臭いが強くなり、換気音が一段と大きくなる。一斗缶の山越に年輩の工員が手を挙げて、ここに下ろせと合図をしている。
僕は鷹揚と樹脂のこびりついたレバーとハンドルを操作し、溶剤と樹脂が渦巻いているタンクの前にパレットを下ろす。

三つ目の滴が呼び出したのは僕の祖父。
実家の居間で火鉢にかざし手を揉んでいる。僕と同じ笑顔を浮かべる表情は温厚そのもので、狂気は感じられない。どてらの袖口から、僕が形見にもらったTechnosが覗く。そのTechnosに気をとられ、祖父が言ったことを聞き逃す。

もう一度言うように促したとき、次女の寝返りで幕引き。
冷たくて明るい青空に冬枯れの田畑が余韻となった。

20120205

Train


ロードで走り終え、帰宅する度に思う。
ケイデンスや心拍数、GPSによる走行経路のログより、「キレイだ」とか、「面白い!」とか、「すごー」と感じた景色の一枚でもカメラに収めた方が、ホビーライダーとしては楽しいんじゃないか?って。
速くはなりたいけれど、今更プロになれるでもなし、前回と比べて2~3のケイデンスやアベレージの上下で一喜一憂するのは馬鹿げてはいやしないか?って。

そして同時に思う、「僕がこの道を選び続けているんだ」って。
ハンガーノックになりかけながらそれでも90rpmを下回らない努力や、4~5%の坂ならインナーに落とさない意地、100kmを休まず走り続ける目標。
やろうと決めたとき、それ以外のことはどうでもよくなる。
楽しく走りたいならチンタラ走っていればいい、僕は自分を苛めて走るのが楽しいんだ。


そんな時、いつもEaglesのLife in the Fast laneのフレーズがぐるぐる回っている。



まぁ、でもあれだ。
メリハリつけて、チンタラ走る時があってもいいよね。
それこそホビーライダーなんだから。



20120130

妻が居ない、遊ぶなら今のうち。


ということで、金土日と恐妻家振りを遺憾なく発揮し、遊び尽くしました。

金曜日は彦根で泥酔。
土曜日はロード&京都で泥酔。
日曜日は朝からロード。

あまりあてにならないものの、サイコンによれば一応2日で5,000Kcalくらい消費しているはずなんだけど体重が増えてる不思議(その1)。
財布は逆に減ってる不思議(その2)。

次はいつだ?


20120110

これからのこと


僕はこれまであまり中・長期的な目標を明確に据えてこなかった。
10年20年経った自分がどういう立ち位置でモノを見、コトを考えているか。
何を得ることができ、何を諦めないといけないのか。

元気に自転車乗れてたらいいなとか、仕事でもそこそこの職責を担っているんだろうなとか、
ひょっとすると妻に押されてどこかで一戸建てに住んでいるかもしれないなとか、
もこもこっとした曖昧なイメージはあるものの、細部を見て取ろうとすると焦点が合わないような、
昨夜の夢を思い出すようで頼りなく、だからではないけれど、そういうことを考えようとしてこなかった。
「差し当たり」や「取り敢えず」のことしか考えられなかったし、考えようともしなかった。

明確に言えるのは、これまで僕は場当たり的・短絡的に生きてきた。
そのことを認めたくないばかりに問題を先送りしてきたところもある。

「これでは立ち行かなくなる。」というところまで実際のところ至っているわけではないと思う。
何かを機会にと考えていたこともあったし、連休が明けようとしているこのような時間に考えることでは
ないかもしれないけれど、思い至った今がその時だろう。


20120105

新年です


仕事始めにあたり、僕の勤める組織の一部局セグメント長が挨拶のなかで次のような発言をしました。


 昨年の震災・原発事故、そして人口の逓減期への移行。これらから鑑みると、今までの拡大再生産を前提とした社会へ構成員を供給するという教育方法は、根本的に見直しが必要だ。


見直された教育がどうあるべきか、というビジョンまでは明確に示されませんでしたが、今までのんべんだらりと日常業務をこなしていた僕にとって、目を覚ますような発言であり、電卓と規程(むしろ慣例)に則っり数字をこねくりまわすより、もっと重要で大事なことがあって、それにかかずらうことなく今までやってきてしまっていたことに気付かされました。

それらのことについて、今年はもう少し時間をかけゆっくり考えていきたいと思った仕事始めの1日でした。



いちねんの終わりに

道の先に朝陽のあたる様子、今年の私の境遇を暗示するようであったと、今思い返します。 この山を乗り越えれば、と汗ばむ初夏を今年も駆けずり回った。 片や村には祭が戻りました。 皆の新年に幸多からんことを、切に願わずにはいられません。 青信号は「進んでもよい」? 否、進め、いざ!